大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」でした。
2006.05.28 Sundayの礼拝でも出てきた話ですが、
「鈴の鳴る道」という詩集の話が出てきました。
内容は、以下のurlにて掲載されています。
http://blog.livedoor.jp/yamaneko0516/archives/7234734.html
http://www.fsinet.or.jp/~atom/news269.html
http://www.geocities.jp/tc_karin/suzu.htm
今まで嫌な道であったものが、視点が変わることで進んで選択する道となる。
きれいな鈴の音を聞くために、嫌だったでこぼこ道を自ら進んで歩んでいく。
まさしく考え方、受け止めかた一つで、同じ道でも変わり、結果も変わるということを実感した時間でした。
神様の対応を見るために、神様に与えられれた道であれば、嫌な道でも歩んでいく。
神様は人を愛しているから試練を与えるのである。
これが聖書のメッセージです。
今まで自己中心に歩んでいた人は、短期的に自分にとって不利益になる道には進みません。
神様の与えてくれた道であると考えると、嫌に思えた道も進んで進む道になるというものです。
自己中心の道を選択しないように、神様の道を選択するようにと考えたひと時でした。
本日のタイトルは、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」でした。
2006.05.28 Sundayの礼拝でも出てきた話ですが、
「鈴の鳴る道」という詩集の話が出てきました。
内容は、以下のurlにて掲載されています。
http://blog.livedoor.jp/yamaneko0516/archives/7234734.html
http://www.fsinet.or.jp/~atom/news269.html
http://www.geocities.jp/tc_karin/suzu.htm
今まで嫌な道であったものが、視点が変わることで進んで選択する道となる。
きれいな鈴の音を聞くために、嫌だったでこぼこ道を自ら進んで歩んでいく。
まさしく考え方、受け止めかた一つで、同じ道でも変わり、結果も変わるということを実感した時間でした。
神様の対応を見るために、神様に与えられれた道であれば、嫌な道でも歩んでいく。
神様は人を愛しているから試練を与えるのである。
これが聖書のメッセージです。
今まで自己中心に歩んでいた人は、短期的に自分にとって不利益になる道には進みません。
神様の与えてくれた道であると考えると、嫌に思えた道も進んで進む道になるというものです。
自己中心の道を選択しないように、神様の道を選択するようにと考えたひと時でした。
大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「神の子として、人の子として」でした。
「幸せは何を得たかにあるのではなく、だれと一緒にいるかによって決まります。
私が好きで愛している人と一緒にいれば幸せになります。
神と一緒にいること自体が幸せです。」
便利にはなるかもしれませんが、いくら、モノを得ても幸せにはならないでしょう。
本日のメッセージでは、「だれと一緒にいるかによって幸せが決まる」と言っていました。
人は受け入れられたい、自分の価値を認められたいという欲求を持っています。
「私が好きで愛している人と一緒にいる」ことで、幸せになるというのです。
一緒に過ごし、自分の存在を認められて幸せになるのです。
さて、クリスチャンは神様が一緒にいてくれることが幸せであります。
神様が人を大切にしくれ、どんな人に対しても価値あるものと認めてくれることを信じているからです。
誰と一緒にいることがこんなにも大切なことなんだなと考えたひと時でした。
本日のタイトルは、「神の子として、人の子として」でした。
「幸せは何を得たかにあるのではなく、だれと一緒にいるかによって決まります。
私が好きで愛している人と一緒にいれば幸せになります。
神と一緒にいること自体が幸せです。」
便利にはなるかもしれませんが、いくら、モノを得ても幸せにはならないでしょう。
本日のメッセージでは、「だれと一緒にいるかによって幸せが決まる」と言っていました。
人は受け入れられたい、自分の価値を認められたいという欲求を持っています。
「私が好きで愛している人と一緒にいる」ことで、幸せになるというのです。
一緒に過ごし、自分の存在を認められて幸せになるのです。
さて、クリスチャンは神様が一緒にいてくれることが幸せであります。
神様が人を大切にしくれ、どんな人に対しても価値あるものと認めてくれることを信じているからです。
誰と一緒にいることがこんなにも大切なことなんだなと考えたひと時でした。
大田原キリスト教会の聖書入門講座に参加しました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)
この箇所が、「聖書がかかれた目的」を一番あらわしている所だということでした。
神様が私たちを愛しているということをあらわしている箇所と言うことですね。
大切な子供を十字架にかけ、苦しみを受けさせるほど私たちを愛してくれているということです。
神様が私たちを愛してくれている。
ここから聖書が始まっているということでした
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)
この箇所が、「聖書がかかれた目的」を一番あらわしている所だということでした。
神様が私たちを愛しているということをあらわしている箇所と言うことですね。
大切な子供を十字架にかけ、苦しみを受けさせるほど私たちを愛してくれているということです。
神様が私たちを愛してくれている。
ここから聖書が始まっているということでした
大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「救い主を待ち望んでいた人々」でした。
■アンナ
主を待ち望んでいたもうひとりの人、アンナという女性が聖書に出てきます。84歳になるまで、宮を離れず、夜も昼も、断食をもって神に仕えていた、というのです。
ただ一心に本当に大切なものを待ち望んでいたというのです。
本当に大切なものを見つけ、その大切なものを第一に求める。
大切なことだと思います。
■イエスキリストを追い求める
クリスチャンである私は、イエスキリストをひたすら追い求める生活。
イエスキリストの生き方に近づく生活を求めていきたいと思います。
魅力的なものが多いこの時代、本当に大切なものを追い求め続けるというのは難しいように思います。
しかし、本当に大切であるものをしっかりと心に留め、追い求めていきたいと考えた時間でした。
本日のタイトルは、「救い主を待ち望んでいた人々」でした。
■アンナ
主を待ち望んでいたもうひとりの人、アンナという女性が聖書に出てきます。84歳になるまで、宮を離れず、夜も昼も、断食をもって神に仕えていた、というのです。
ただ一心に本当に大切なものを待ち望んでいたというのです。
本当に大切なものを見つけ、その大切なものを第一に求める。
大切なことだと思います。
■イエスキリストを追い求める
クリスチャンである私は、イエスキリストをひたすら追い求める生活。
イエスキリストの生き方に近づく生活を求めていきたいと思います。
魅力的なものが多いこの時代、本当に大切なものを追い求め続けるというのは難しいように思います。
しかし、本当に大切であるものをしっかりと心に留め、追い求めていきたいと考えた時間でした。
誕生日を覚えていて、さりげなくおめでとうを伝える。
このさりげない行動は人にとってうれしいものです。
人を受け入れ、大切に思わなければできないことです。
相手を受け入れ、自分のしてほしいことを相手にする。
相手に対し、
「あなたを受け入れています、
あなたを気にしています、
あなたは私にとって、大切な存在です」
ということを伝える。
先日、友人と食事をしていて、「彼は、あさって誕生日なんです」と店員に言ってくれた。
「あなたは大切です」とさりげなく伝えてもらう。
うれしいことです。
もっともっと人を大切にしていかなければならないなと思った時間でした。
このさりげない行動は人にとってうれしいものです。
人を受け入れ、大切に思わなければできないことです。
相手を受け入れ、自分のしてほしいことを相手にする。
相手に対し、
「あなたを受け入れています、
あなたを気にしています、
あなたは私にとって、大切な存在です」
ということを伝える。
先日、友人と食事をしていて、「彼は、あさって誕生日なんです」と店員に言ってくれた。
「あなたは大切です」とさりげなく伝えてもらう。
うれしいことです。
もっともっと人を大切にしていかなければならないなと思った時間でした。
大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「すばらしい知らせ」でした
■神様は計画を持っている
クリスチャンは、どんな状況においても、それらは神様の計画の中にあると考えます。
どんな苦難にあっても、それは神様の計画の中であり、何らかの意味があると考えるのです。
■信仰は事実だけを見るのではない
苦しい時には、
「なんでこんな苦しい状況に置かれなければならないのか」
「神様なんているもんか」
などと思ってしまうことが多々あると思います。
でも、信仰とは、このような苦しい状況にあっても、「神様は私たちに何を語っているのか」ということを思い巡らし、生活に活かしていくことだといいます。
事実だけを見たら嫌になってしまいますが、どんな状況も計画の内にあり、意味のあることだと考え、静かに受け入れていく。このことにより心に平安を得ることができるのであると思うのです。
私は、まだそれほど苦しいことにぶつかっていませんが、苦しいことも含めて、今与えられている時間を意味のあるものと考え、精一杯生きていこうと考えた一時でした
本日のタイトルは、「すばらしい知らせ」でした
■神様は計画を持っている
クリスチャンは、どんな状況においても、それらは神様の計画の中にあると考えます。
どんな苦難にあっても、それは神様の計画の中であり、何らかの意味があると考えるのです。
■信仰は事実だけを見るのではない
苦しい時には、
「なんでこんな苦しい状況に置かれなければならないのか」
「神様なんているもんか」
などと思ってしまうことが多々あると思います。
でも、信仰とは、このような苦しい状況にあっても、「神様は私たちに何を語っているのか」ということを思い巡らし、生活に活かしていくことだといいます。
事実だけを見たら嫌になってしまいますが、どんな状況も計画の内にあり、意味のあることだと考え、静かに受け入れていく。このことにより心に平安を得ることができるのであると思うのです。
私は、まだそれほど苦しいことにぶつかっていませんが、苦しいことも含めて、今与えられている時間を意味のあるものと考え、精一杯生きていこうと考えた一時でした
■「むっと」してしまった。
昨日は、宇都宮に行き、買い物をしようと考えていた。
ポッポ農園のフリーマーケットにより、そこから宇都宮に向かった。
ふと思い出し、予定を変更して急遽「芝さくら祭り」に寄ることにした。
私の提案に妻は賛成したが、思ったよりも人が多く、道が混雑していること、宇都宮から思ったよりも離れていることから、妻がいらいらしている様子が感じられた。
現地に着き、妻のいらいらを感じ、私が「むっと」してしまった。
すぐにその場を立ち去り、宇都宮に向かった。
その際に神様に、この「むっと感」を取り除いてもらうように祈り、なんとか気持ちを抑え、切り抜けた。
■一言謝る
やはり、妻は私の「むっと感」を敏感に感じるのである。
夕食後、「今日はごめんね」
この一言でなんだか安心した。
いつまでも、相手を思いやり、一言を言える夫婦でありたいものである。
昨日は、宇都宮に行き、買い物をしようと考えていた。
ポッポ農園のフリーマーケットにより、そこから宇都宮に向かった。
ふと思い出し、予定を変更して急遽「芝さくら祭り」に寄ることにした。
私の提案に妻は賛成したが、思ったよりも人が多く、道が混雑していること、宇都宮から思ったよりも離れていることから、妻がいらいらしている様子が感じられた。
現地に着き、妻のいらいらを感じ、私が「むっと」してしまった。
すぐにその場を立ち去り、宇都宮に向かった。
その際に神様に、この「むっと感」を取り除いてもらうように祈り、なんとか気持ちを抑え、切り抜けた。
■一言謝る
やはり、妻は私の「むっと感」を敏感に感じるのである。
夕食後、「今日はごめんね」
この一言でなんだか安心した。
いつまでも、相手を思いやり、一言を言える夫婦でありたいものである。
| Home |

