栃木県大田原に住むクリスチャンビジネスマンの日記

栃木県大田原に住むクリスチャンビジネスマン、萩原義明が日々考えたこと、行ったことを綴っていきます。

他人と比較しない生き方

大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「目標を目指して一心に走ろう」でした。

■自分に満足してしまう
なぜ自分に満足してしまうのでしょうか?
それは、他人と比較するからです。

他人と比較するとどうなるでしょう?
「自分を誇るようになり、成長が止まってしまう」
もしくは
「劣等感にさいなまされ、成長できなくなってしまう」
といいます。

そうですね、他人と比較していくとこのようになってしまうかなと思います。
自分を誇る前であれば、目指している状態であれば成長する気もしますが、自分で自分を誇ってしまったらそれ以上成長はないように思います。

■イエスキリストとのみ比較する
クリスチャンは、聖書を通し、イエスキリストとのみ比較することが大切であると言っています。
完全であるイエスキリストと比較し、常に自分は完全でないということを自覚し、謙遜にイエスキリストのようになることを目指して歩んでいくのです。

■他人と比較しない生き方
なかなか難しいですね。
つい他人と比較し、自分はあの人よりはましだ、なんて考えてしまいますからね。

常にイエスキリストを目指し歩んで生きたいなと思ったひと時でした。

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アブラヤパンでパンを買いました

■今話題のとうがらしパンを買いにアブラヤパンに行きました。
子供たちといったのですが、いろいろなパンがあり、大喜びでした。

同じ「大田原だね!っと」のメンバーということもあり、アブラヤパン四代目と、四代目のお母さんに歓待を受けたのでした。

ということで、子供たちにアブラヤパンさんの自慢のコッペパンにジャムを付けるところを特別に見せてくれました。子供たちはかなり喜んでいました。
アブラヤパン

ね、うれしそうでしょ。

子供たちが特に気に入ったのは、「おかしのついたパン」でした。
どのパンだかわかりませんでしたが、車に乗ったときに話してくれました。

どのパンだったのですかね。

皆さんぜひ、一度行って食べてみてください。

とうがらしパンもピリッときておいしかったですよ。

がんばってもらいたい、大田原のお店です。

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那須野が原ハーモニーホールで、ゴスペルコンサート開催

■ゴスペルコンサート開催です
栃木県大田原市の那須野が原ハーモニーホールにてゴスペルコンサートが開催されます。
3月10日(土曜)18:00からです。
詳しくは、以下のサイトを見てください。
http://otawara.church.jp/

東京から80名近いメンバーが大田原に来て、ゴスペルのすばらしさを伝えます。

メンバーは純粋にゴスペルのすばらしさを伝えたいという思いから全国を回っており、全てボランティアでの参加です。

こんなすばらしいコンサートがなんと「無料」なんです。
これを機会に本物のゴスペルをぜひ聞いてください。

■ゴスペルを伝えるのは・・・
東京バプテスト教会のクワイヤ(聖歌隊)の皆さんです
http://www.tokyobaptist.org/announcements/index_ja.htm

教会で毎週練習しているようです。

■ゴスペルとは
ゴスペルについて紹介したサイトがありましたので、紹介します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゴスペル_(音楽)
http://www.gpm.cc/gospel.html

■ちらしはこちらにて掲載しています。
http://otawara.church.jp/

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信仰により救われる

大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさ」でした。

■行動により救われる?
多くの人は、
「いいことをすることにより死んだ後に天国に行くのだ」
「自分が行ったことでいいことのほうが多ければ天国に行き、悪いことが多ければ地獄にいく」と思っていますよね。
;
「これだけ悪いことをしているのだからどうせ地獄に行くのだろう」
「これだけいいことをしているのだから自分は天国に行くだろう」
と考えている人も多いものだと思います。

私もクリスチャンになる前まではそう思っていました。

■信仰により救われる
しかし、聖書は、それは違うといいます。
「いくらいいことをしても天国にいけるとは限らない」
「どんなに悪いことをしても天国にいける道はある」
といっています。

「イエスキリストが私たちのための罪のために死んでくれた」ことを信じることにより、救われるといいます。

自分の力で行った行動が、救われうための条件ではないというのです。

信じるだけ、たったそれだけのことで救われるというのです。
たったそれだけのことなのです。

自分がいいことをする、というのはいいことだと思いますが、救われる条件ではないなと確認できた礼拝でした。

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ペンキを塗りました。

■ペンキ塗りしていたな〜〜
「初めてペンキを塗りました」と思っていたら、以前船に乗っていたときに甲板員として、ペンキ塗りをしていたのを思い出しました。

10年ほど前、船に乗っていたのですが、そこで、甲板員としてボランティアをしていました。

甲板のさびを取り、ペンキをぬるという作業を行っていました。古い船であったので、毎日古い箇所をペンキ塗りしていました。なつかしく思い出しました。

■これがベッドです
緑色にベッドを塗りました。

DSCN0482-s.jpg


初めは、むらになってしまうなと思っていましたが、やはりむらになりました。
でも、結構いけてるベッドになったなと妻と二人で満足しています。

子供の手形つけてみました。


DSCN0478-s.jpg

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自分のこととして心配する

大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「同じ心になって」でした。

■愛とは
「人のことを他人事ととは思わず、自分のこととして心配する」ことを愛するといいます。

■愛の反対は無関心
人はついつい自分のことでいっぱいになり、人のことを考えられなくなりますよね。
自己中心になり、人に関心を示さなくなるといいます。

これが「愛」とは反対のことです。
つまり、無関心のことです。

■どうやって「愛することができkるようにんなるのか
聖書によると、
「イエスキリストの思いを求める人は愛する心を与えられる」といいます。

自分の力だけでは、真に人を愛する人にはなれないということでしょうか?
イエスキリストを通して愛の人になるということですね。

私は、というと、イエスキリストの思いを求めている段階ですね。
愛する心を与えてくださいと。

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しっかりと木の幹につながり実を結ぶ

大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「自分の救いを達成してください」でした。

■「しかし、多くの場合、枝が木についていないのに実を結ぼうとしています」
「結果=実」のみを求め、「与えられた根本の考え方=幹」を考えずに行動してうまくいかないと嘆いている人が多いのではないかなと思います。

教えられたことの本質をしっかりと理解し、その考え方を元に実行すればいいのに、自分流の解釈をし、一部分だけを取り上げ実行し、結局はうまくいかなかった。そんなことはよくあるのではないかと思います。

研修に行ってもそうです、一部分のみを取り上げ実行したが、使えないことが多いのも「実」のみを求めてしまうからではないかなと思います。

■「木の幹=イエスキリスト」
クリスチャンであれば、「木の幹=イエスキリストの考え方=聖書の考え方」につながり、理解し、祈り、イエスキリストの考え方で日々行動するばいいのですが、それを忘れてしまうことがよくあります。

聖書は、常に祈り、イエスキリストにつながって行動することが大切といっています。
「祈る必要はない、自分の力だけでできてしまう」と考えてしまうようなことでも祈ることが大切であるといっています。

自分でできそうな時は祈ることを忘れてしまっているな、と感じました。
常に祈ることが大切だなと考えたひと時でした。

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まずは、話を聞き、相手を受け入れる

■妻の話を聞いた
2日前にふとしたことから妻の機嫌が悪くなった。
「テレビをつけていたら、子供たちは集中して夕食を食べられない、集中してたべさせたければテレビを消したほうがいい」といったら、その後、機嫌が悪くなった。

今日の朝、「なぜ怒っているのか聞かないの」といわれ、聞いてみると、話してくれた。
「あなたの見たいテレビだったら見ていても何もいわず、私の見たいテレビは消せというのはおかしい」ということを言った。

しかし、もっと話を聞いていくと、その日いろいろなことが重なり、やっとの思いで見たいテレビを見ることができるようになっていたという。

■認めて欲しかった
結局は自分のしていたことを否定されたことに腹を立てていたのだと思う。その日のそれまでの自分のしたことを全て否定されたと感じたのであろう。

何も話を聞かずに妻の行ったことを否定したことが大きな原因である。
いつもは、自分の考えと異なる時には、その場(特に子供の前)では妻の行うことを尊重し、子供たちがいなくなり、ひと段落ついてから自分の考えを話していた。

今回は、何も聞かずに妻の行動を否定してしまったのである。

■話を聞かないとわからない
当然相手の考えていることと、自分の考えていることと異なることが多い。今回、それまでの妻の行った経緯を理解しようとせず、妻が間違っていて、自分が正しいと思っていた。しかし、話を聞き、一方的に自分の考えを押し付けてしまったこと、これが妻を傷つけてしまったのである。

相手の話をまずは聞くことが大切だな、相手の気持ちを十分受け入れ、相手を理解し、そこから話し合うことが大切だな。

そんなことを考えた一件でした。

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