大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「光の子供らしく歩みなさい」です。
■人との関係を大切にする
日本人は人との関係、人との和を大切にする。
それに対し、中国や韓国は真理を大切にする。
確かにそうですね。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
ということが流行語になるということでよく分かりますよね。
これは本当のことだ、真実だ、正しいことだと思っても、多くの人が反対するとそのことは実行できないというのが日本人ですね。
人の和を大切にするというのはいいことだと思いますが、それにより正しいことが受け入れられないというのはどうかと思います。
■真理を求める
本当のことは何かを求め、真理と信じることができたら、そのことを貫き通す。
難しいことかと思います。
「これくらいのこといいじゃないの」「みんなやっているのだからいいんだよ」
ということが多いですからね。
そんな中において、常に真理は何か、創造主は、聖書を通してなんといっているか、どのように考えているか。
考えながら、行動していきたいと思った時間でした。
本日のタイトルは、「光の子供らしく歩みなさい」です。
■人との関係を大切にする
日本人は人との関係、人との和を大切にする。
それに対し、中国や韓国は真理を大切にする。
確かにそうですね。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
ということが流行語になるということでよく分かりますよね。
これは本当のことだ、真実だ、正しいことだと思っても、多くの人が反対するとそのことは実行できないというのが日本人ですね。
人の和を大切にするというのはいいことだと思いますが、それにより正しいことが受け入れられないというのはどうかと思います。
■真理を求める
本当のことは何かを求め、真理と信じることができたら、そのことを貫き通す。
難しいことかと思います。
「これくらいのこといいじゃないの」「みんなやっているのだからいいんだよ」
ということが多いですからね。
そんな中において、常に真理は何か、創造主は、聖書を通してなんといっているか、どのように考えているか。
考えながら、行動していきたいと思った時間でした。
■私たち人間は、創造主の家族となるために造られたというのです
人間との関係を望んでいるということです。
人は「神様なんていないんだ」といいますが、それでも、創造主の家族になってほしい、また、創造主の顔を見て生きていくことを選んで欲しいと望んでいるといいます。
ただし、創造主の家族となるためには、創造主との関係を修復しなければなりません。
そのためには、新しく生まれ変わることが必要だといいます。
イエス・キリストを信じる、イエス・キリストのように生きていくということを宣言することで、「新しく生まれ変わり」、創造主との関係を修復することができ、「神の家族」となることができるというのです。
「新しく生まれ変わる」と、多くのものを受け継ぐことができるといいます。
自分が変わっていくというのです。
常に創造主を見ながらあゆむことになり、変わっていくというのです。
私も、急には変わっているわけではありませんが、ゆっくりと変わってきているのだなと思います。
人間との関係を望んでいるということです。
人は「神様なんていないんだ」といいますが、それでも、創造主の家族になってほしい、また、創造主の顔を見て生きていくことを選んで欲しいと望んでいるといいます。
ただし、創造主の家族となるためには、創造主との関係を修復しなければなりません。
そのためには、新しく生まれ変わることが必要だといいます。
イエス・キリストを信じる、イエス・キリストのように生きていくということを宣言することで、「新しく生まれ変わり」、創造主との関係を修復することができ、「神の家族」となることができるというのです。
「新しく生まれ変わる」と、多くのものを受け継ぐことができるといいます。
自分が変わっていくというのです。
常に創造主を見ながらあゆむことになり、変わっていくというのです。
私も、急には変わっているわけではありませんが、ゆっくりと変わってきているのだなと思います。
■致知という本を所長から贈られました
「家族で読んでください」ということで、各所員の家庭に一年間毎月送られることになりました。
さらに、先月まで「家訓」を作ろうという本を朝礼の時間みんなで読んでいました。
■まさに我が家の家訓?
そして、致知11月号では、我が家の家訓にしようと考えていることがそのまま文章となっていました。(致知2006年11月号P87)
「己の如く人を愛せよ」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
隣人愛というものです。
「自分がしてもらいたいように人にしてあげなさい」
「人々にしてほしいことをその人々にせよ」
黄金律というものです。
この二つの聖書の言葉は、クリスチャンの中ではよくでてくる言葉です。
で、このことを自分の家訓としようと考えています。
■致知では、この二つの聖書の言葉を実践した人の話が出ていました
永井隆医学博士です。
カトリックの信徒である永井さんの、
「己の如く人を愛せよ」
「自分がしてもらいたいように人にしてあげなさい」
の実践を読むことができました。
以下HPに紹介されています。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/nagai/nagae01.html
永井先生のように、真に、「己の如く人を愛し」、「自分がしてもらいたいように人にしていきたい」と思った時でした。
「家族で読んでください」ということで、各所員の家庭に一年間毎月送られることになりました。
さらに、先月まで「家訓」を作ろうという本を朝礼の時間みんなで読んでいました。
■まさに我が家の家訓?
そして、致知11月号では、我が家の家訓にしようと考えていることがそのまま文章となっていました。(致知2006年11月号P87)
「己の如く人を愛せよ」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
隣人愛というものです。
「自分がしてもらいたいように人にしてあげなさい」
「人々にしてほしいことをその人々にせよ」
黄金律というものです。
この二つの聖書の言葉は、クリスチャンの中ではよくでてくる言葉です。
で、このことを自分の家訓としようと考えています。
■致知では、この二つの聖書の言葉を実践した人の話が出ていました
永井隆医学博士です。
カトリックの信徒である永井さんの、
「己の如く人を愛せよ」
「自分がしてもらいたいように人にしてあげなさい」
の実践を読むことができました。
以下HPに紹介されています。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/nagai/nagae01.html
永井先生のように、真に、「己の如く人を愛し」、「自分がしてもらいたいように人にしていきたい」と思った時でした。
9月1日より「人生を導く5つの目的、祈りの日記」
朝礼にてみんなで読んでいます。
■どんなときでも、創造主に感謝、信頼することを創造主は望んでいます。
そして、私が創造主のことをどう考えても、創造主は変わらず、私を愛してくれている。
そんな創造主を常に信仰し続けることが望まれています。
しかし、創造主を遠く感じることがあるというのです。
自分が望んでも遠くへ感じてしまうことがあるというのです。
そんな時でも、創造主を信じ続けることが望まれています。
信仰の成長のためには、創造主が遠くに感じる期間があるというのは、必要なことだといいますが、乗り切るのは苦しいことだと思います。
信じている人から応答がないということですからね。
それでも信じ続けるとは、難しいものだと思いますが、そんな時がきたら、乗り越えていきたいと思います。
朝礼にてみんなで読んでいます。
■どんなときでも、創造主に感謝、信頼することを創造主は望んでいます。
そして、私が創造主のことをどう考えても、創造主は変わらず、私を愛してくれている。
そんな創造主を常に信仰し続けることが望まれています。
しかし、創造主を遠く感じることがあるというのです。
自分が望んでも遠くへ感じてしまうことがあるというのです。
そんな時でも、創造主を信じ続けることが望まれています。
信仰の成長のためには、創造主が遠くに感じる期間があるというのは、必要なことだといいますが、乗り切るのは苦しいことだと思います。
信じている人から応答がないということですからね。
それでも信じ続けるとは、難しいものだと思いますが、そんな時がきたら、乗り越えていきたいと思います。
大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「互いに赦しあいなさい」です。
■赦す
友人に聞かれました。
「今、ひどいことをされているのだけど、キリスト教的には、なんでも赦さなければならないのか?」
聖書は
「何度でも赦しなさい」
といっています。
何度でも赦しなさいといっていますが、条件があります。
相手が深く反省したら、悔い改めたら、赦すというのです。
人が間違ったことをしているのであれば、その人を戒め、よく話し合い、悔い改めたら赦すというのです。
相手が悔い改めたらのであれば、何度でも赦すのです。
何度同じことをやればいいの?
と思うことがありますが、何度でも悔い改めたのであれば赦す、
それが聖書の考え方です。
■どうしたら赦すことができるのか
創造主がイエスキリストにおいて、人を赦してくれたことを知り、
創造主の深い愛を知ること。
このことができたら、赦すことができるといいます。
人は、創造主から深く愛されている、
人は、創造主から一方的に愛されている、
どんな人でも愛されている、
こんな自分でも愛されている。
このことを理解し、受け入れたのであれば、どんな人でも赦すことができるということでした。
もっともっと創造主の愛を知り、人を赦せるようになりたい。
そのようなことを感じた礼拝でした。
本日のタイトルは、「互いに赦しあいなさい」です。
■赦す
友人に聞かれました。
「今、ひどいことをされているのだけど、キリスト教的には、なんでも赦さなければならないのか?」
聖書は
「何度でも赦しなさい」
といっています。
何度でも赦しなさいといっていますが、条件があります。
相手が深く反省したら、悔い改めたら、赦すというのです。
人が間違ったことをしているのであれば、その人を戒め、よく話し合い、悔い改めたら赦すというのです。
相手が悔い改めたらのであれば、何度でも赦すのです。
何度同じことをやればいいの?
と思うことがありますが、何度でも悔い改めたのであれば赦す、
それが聖書の考え方です。
■どうしたら赦すことができるのか
創造主がイエスキリストにおいて、人を赦してくれたことを知り、
創造主の深い愛を知ること。
このことができたら、赦すことができるといいます。
人は、創造主から深く愛されている、
人は、創造主から一方的に愛されている、
どんな人でも愛されている、
こんな自分でも愛されている。
このことを理解し、受け入れたのであれば、どんな人でも赦すことができるということでした。
もっともっと創造主の愛を知り、人を赦せるようになりたい。
そのようなことを感じた礼拝でした。
9月1日より「人生を導く5つの目的、祈りの日記」
朝礼にてみんなで読んでいます。
自己中心性を捨て、創造主に集中する。
自分ではなく、人にではなく、創造主だけを考える。
力を尽くして愛しなさい、礼拝しなさい。
それが礼拝であるといいます。
自分を捨てる、これはなかなか難しいことだと思います。
でも、創造主は、まずは、自分を捨てなさいといいます。
そして、創造主のことを考え、その次に、自分や、人のことを考えなさいといいます。
自分ではなく、創造主中心に生きていく、このことを受入れ今生きています。
朝礼にてみんなで読んでいます。
自己中心性を捨て、創造主に集中する。
自分ではなく、人にではなく、創造主だけを考える。
力を尽くして愛しなさい、礼拝しなさい。
それが礼拝であるといいます。
自分を捨てる、これはなかなか難しいことだと思います。
でも、創造主は、まずは、自分を捨てなさいといいます。
そして、創造主のことを考え、その次に、自分や、人のことを考えなさいといいます。
自分ではなく、創造主中心に生きていく、このことを受入れ今生きています。
9月1日より「人生を導く5つの目的、祈りの日記」
朝礼にてみんなで読んでいます。
創造主のことを大切に思い、それゆえに、常に思い巡らせ、創造主の喜ぶことを行う。
これにより、結果的に人にやさしくしたり、人によい行いをするなどにつながるのです。
創造主への思いをめぐらすことを望んでいても全ての人間にそのことを強制することはしなかったのです。
不思議なことです。
全てのことを創造し、何でもできる創造主であれば、人に対して思いをめぐらすことを強制することもできたはずです。
しかし、そのことはしなかったのです。
人に選択し、自ら創造主との関係を持ちたいと思って欲しいと考えているのでしょう。
創造主への思いを、自ら選択するとき、本当の友情が育まれていくのでしょう。
私は、自分で選択し、創造主との関係を持っていこうと決めました。
そして、今の自分がいます。
これからも、創造主へ思いをめぐらし、関係を深めていきたいと思います。
朝礼にてみんなで読んでいます。
創造主のことを大切に思い、それゆえに、常に思い巡らせ、創造主の喜ぶことを行う。
これにより、結果的に人にやさしくしたり、人によい行いをするなどにつながるのです。
創造主への思いをめぐらすことを望んでいても全ての人間にそのことを強制することはしなかったのです。
不思議なことです。
全てのことを創造し、何でもできる創造主であれば、人に対して思いをめぐらすことを強制することもできたはずです。
しかし、そのことはしなかったのです。
人に選択し、自ら創造主との関係を持ちたいと思って欲しいと考えているのでしょう。
創造主への思いを、自ら選択するとき、本当の友情が育まれていくのでしょう。
私は、自分で選択し、創造主との関係を持っていこうと決めました。
そして、今の自分がいます。
これからも、創造主へ思いをめぐらし、関係を深めていきたいと思います。
大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「人の徳を養うのに役立つ言葉を」です。
■悪口、陰口
通常悪口や、陰口は、特に問題にならないのではないかと思います。
悪口、陰口、つまり、人を傷つける言葉です。
好ましくないと思っていても法的には罰せられないし、本人に伝わらなければ本人の心に傷が付くわけでもなく、問題がないと思われていますね。
そして、人が集まると悪口や陰口が話題になることが多いと思います。
■人は、なぜ悪口、陰口を言いたくなるのでしょうか
人をけなすことで、自分が相対的に良い人になるから
人から注目されるため
多くの人が悪口を容認しているから
ということでした。
そうですね、自分のために悪口を言っているということでしょうか?
■人の徳を養う言葉を発する
悪い言葉、悪口や陰口をいってはいけないと聖書は言っています。
私個人的には、悪口は聞いていて嫌なものですが、私も、知らないうちに悪い言葉を発しているのではないかと思います。
当人がいないからいいやと思い、悪口をいっているのではないかと思います。
悪い言葉ではなく、人の徳を養う言葉を発していけたらと思います。
本日のタイトルは、「人の徳を養うのに役立つ言葉を」です。
■悪口、陰口
通常悪口や、陰口は、特に問題にならないのではないかと思います。
悪口、陰口、つまり、人を傷つける言葉です。
好ましくないと思っていても法的には罰せられないし、本人に伝わらなければ本人の心に傷が付くわけでもなく、問題がないと思われていますね。
そして、人が集まると悪口や陰口が話題になることが多いと思います。
■人は、なぜ悪口、陰口を言いたくなるのでしょうか
人をけなすことで、自分が相対的に良い人になるから
人から注目されるため
多くの人が悪口を容認しているから
ということでした。
そうですね、自分のために悪口を言っているということでしょうか?
■人の徳を養う言葉を発する
悪い言葉、悪口や陰口をいってはいけないと聖書は言っています。
私個人的には、悪口は聞いていて嫌なものですが、私も、知らないうちに悪い言葉を発しているのではないかと思います。
当人がいないからいいやと思い、悪口をいっているのではないかと思います。
悪い言葉ではなく、人の徳を養う言葉を発していけたらと思います。
■9月1日より「人生を導く5つの目的、祈りの日記」
朝礼にてみんなで読んでいます。
■創造主は、人と関わりたいと思っているといいます。
関わるとは何のことでしょうか。
「創造主のことを考えること」「創造主に思いをめぐらすこと」
といっています。
愛する人に対しては、常に思いをめぐらしますし、愛する人から、思ってもらいたいですからね。
創造主もそう考えているといいます。
そして、人間は本来、創造主と親しい関係にあり、常に思いをめぐらす関係にあったといいます。
「神と親友になる」これは、常に創造主のことを考える、思いをめぐらすということなんですね。
一日を通して、創造主との関係を持っていきましょうね。
朝礼にてみんなで読んでいます。
■創造主は、人と関わりたいと思っているといいます。
関わるとは何のことでしょうか。
「創造主のことを考えること」「創造主に思いをめぐらすこと」
といっています。
愛する人に対しては、常に思いをめぐらしますし、愛する人から、思ってもらいたいですからね。
創造主もそう考えているといいます。
そして、人間は本来、創造主と親しい関係にあり、常に思いをめぐらす関係にあったといいます。
「神と親友になる」これは、常に創造主のことを考える、思いをめぐらすということなんですね。
一日を通して、創造主との関係を持っていきましょうね。
大田原キリスト教会の礼拝に参加しました。
本日のタイトルは、「盗んではいけません」です。
■聖書でいう盗み
盗みとは、法律上などの盗みのことをイメージすると思いますが、聖書でいう盗みは、それだけではないといいます。
聖書でいう盗みとは、創造主からみての盗みのことをいい、もっと広い意味であるといっていました。
人の気持ちのことを言っているように思います。
創造主は人の気持ちを理解します。創造主からみて盗みだと思われることは全て盗みです。
レジでおつりを間違って多めに貰い、自分が間違いに気がついたのにも関わらず、自分の財布にいれてしまうのは盗みですね。
間違った相手が悪いとかいうのは通用しません。
契約上○○であるから、法律上××であるからだとかではなく、創造主の視点で盗みかどうかを判断します。
■がちゃがちゃにおつりが残っていました。
子供が見つけました。
どうしましょうね?
妻は、その100円を子供から受け取り、すぐにレジに持っていき、「そこのがちゃがちゃに残っていました」とその100円を渡しました。
自分だったら、子供の手柄といって子供に渡していたかなと思います。
盗みはしていけませんね。
本日のタイトルは、「盗んではいけません」です。
■聖書でいう盗み
盗みとは、法律上などの盗みのことをイメージすると思いますが、聖書でいう盗みは、それだけではないといいます。
聖書でいう盗みとは、創造主からみての盗みのことをいい、もっと広い意味であるといっていました。
人の気持ちのことを言っているように思います。
創造主は人の気持ちを理解します。創造主からみて盗みだと思われることは全て盗みです。
レジでおつりを間違って多めに貰い、自分が間違いに気がついたのにも関わらず、自分の財布にいれてしまうのは盗みですね。
間違った相手が悪いとかいうのは通用しません。
契約上○○であるから、法律上××であるからだとかではなく、創造主の視点で盗みかどうかを判断します。
■がちゃがちゃにおつりが残っていました。
子供が見つけました。
どうしましょうね?
妻は、その100円を子供から受け取り、すぐにレジに持っていき、「そこのがちゃがちゃに残っていました」とその100円を渡しました。
自分だったら、子供の手柄といって子供に渡していたかなと思います。
盗みはしていけませんね。
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